〜せとものの話をしませんか〜「瀬戸だより」保存版

瀬戸の陶磁器店・加藤兆之助商店が発行しているメールマガジン「瀬戸だより」の保存版です。瀬戸のこと、焼き物のことなど、毎週土曜日お届けしています。
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瀬戸だより620号「越中瀬戸焼」という話
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     5月です、ゴールデンウイークど真ん中、こどもの日です。皆さんどうお過ごしですか?

     

     現在、瀬戸市美術館で開催中の「越中瀬戸焼ー桃山から現代へー」を見てきました(6月10日まで)。

     越中(富山県)で焼かれている瀬戸焼……?不思議な展示です。

     

     もともとは天正16年(1588年)ころに瀬戸焼の陶工・小二郎が前田氏によりこの土地に招かれ、「瀬戸焼」を生産を開始、以後加賀藩の御用窯として発展、今も4軒の窯元5人の陶工が活動を続けているとのことです。

     

     私自身、この越中瀬戸焼というのは聞いたことがなく、その成り立ちそして今も生産が続いているというのが興味深いと感じました。

     古いものは当時の瀬戸の瀬戸焼と特徴を同じくし、鉄釉の黒や茶色の釉薬が掛けられています。日常の器や花器から茶道具まで多岐にわたる生産もよく似ています。

     

     鎌倉時代に釉薬を施した最先端の陶器を産出した瀬戸。その技術が各地に伝えられていくのは不思議ではありません。今回の越中瀬戸焼の小次郎のように陶工が各地に移ることもあったでしょうし、瀬戸に技術を求めて来るものもいたのでしょう。

     瀬戸で作られた焼き物「せともの」が一般的に陶器全体のこと意味する「せともの」と呼ばれるようになったのも、単純に瀬戸で作られた製品が広まっただけでなく、今回のような技術の伝搬で各地で瀬戸の焼き物が各地で焼かれたというのもあると思います。つまり、「瀬戸で作られるような釉の施された『せともの』がうちの土地でも出来るようになった」という流れも少なからずあったはずです。

     

     展示は現代の富山で作られている作家の作品までされています。その作品からもなんとなく瀬戸と同じ雰囲気を感じてしまうのも興味深かったです。

     その焼き物が作られる土地は「瀬戸」という地名がついているようです。いつかその土地も訪れてみたいと感じさせる展示でした。

     

    ■「越中瀬戸焼ー桃山から現代へー」瀬戸市美術館

    http://www.seto-cul.jp/information/index.php?s=1522977234

     

     展示点数は少なめですが、その分2階の展示室は瀬戸市所蔵の絵画の展示となっています。

    | 展示感想 | 23:15 | comments(0) | - |









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