〜せとものの話をしませんか〜「瀬戸だより」保存版

瀬戸の陶磁器店・加藤兆之助商店が発行しているメールマガジン「瀬戸だより」の保存版です。瀬戸のこと、焼き物のことなど、毎週土曜日お届けしています。
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653号「門松代用紙届く」という話
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    門松代用紙

     


     クリスマス、年末に向けて冷え込みが厳しくなるようです。寒いです。
     今年も瀬戸市の広報誌に恒例の「門松代用紙」が折り込まれて届きました。「正月の飾り物作りなどで山の緑が損なわれないようにはじめた瀬戸市の伝統事業です」と広報に説明が添えられていますが、この「伝統」という意味は何なんでしょう?

     A4の紙を縦に二つにしたサイズ。賀正の文字の下、丸く赤い初日の大きく描かれ、その下には松竹梅、というめでたい絵柄です。これは自分たちの子どものころから変わっていません。どこまで時代をさかのぼれるかは不明ですがとにかくずっと昔から変わらないことは確かです。

     瀬戸の門松問題。これは歴史があります。
     江戸時代、世の中が安定してくると陶器の需要が高まり、それに応じるため瀬戸の窯業も飛躍的に伸びました。そのために必要な土と燃料の薪を確保するため、周辺の山々は一面のはげ山となってしまいました。結果、はげ山は山崩れや洪水などの災害を繰り返し起こすことになります。
     江戸期の早い段階から藩による山林保護は行われていました。その中で享保7年(1722年)には門松に真松の使用を禁止する「門松の制限」が命じられています。これは繰り返し出されていたようです。門松に使う松は若松であったり根付の苗のようなサイズのものが使われるので、せっかく根付き始めた松を根こそぎ採られてしまうことになります。
     この後、幕末から明治には再び管理が行き届かなくなりさらに山の荒廃が進むことになります。この山林の本格的な回復は明治半ば以降のホフマン工法による治山事業まで待つことになります。ホフマン工法は最低限の土の流出を防ぎ、あとは自然の回復に任せるという時間のかかるもの。その間も門松はもちろん様々な用途で木の伐採は制限され続けなければならなかったことは十分に想像できます。
     そのような状況を通して門松代用紙は生まれ、今も配布が続いているのでしょう。
     今は豊かな緑に囲まれる瀬戸ですが、その山々は徹底的な荒廃から再生されたものであることは忘れられがちです。特にその原因が陶磁器生産にあったということは私たちのような陶磁器を生業にしている者たちは常に心にとめるべきと思います。
     現代ではガスや電気が主で燃料として薪を必要とすることはあまりありません。ただ、土を採るために山を崩していることは変わりありません。自然を壊しつつ陶磁器を作っていること、先人の努力によりここまで瀬戸の山林が回復したことを忘れず感謝する意味でも、ある種の戒めとしても門松代用紙を正月の玄関先に掲げる意味はあると思います。そして、他の人たちにも瀬戸の山の荒廃と回復の歴史を伝えていく役割をこの一枚の紙は持つように思います。

    (2年ほど前にもこの門松代用紙の話を「瀬戸だより」に書いていて、繰り返しになりますが、瀬戸の自然を考える意味でもあらためて書きました。)

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