〜せとものの話をしませんか〜「瀬戸だより」保存版

瀬戸の陶磁器店・加藤兆之助商店が発行しているメールマガジン「瀬戸だより」の保存版です。瀬戸のこと、焼き物のことなど、毎週土曜日お届けしています。
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瀬戸だより717号「山茶碗」という話
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     皆さん、お元気ですか?土曜日です。

     瀬戸も、いえ全国的に自粛ムードが続いています。今月中は少なくともこんな感じなんでしょうね。

     

     瀬戸は日本で施釉陶器が初めて作りだされた土地というのはこの「瀬戸だより」でも何度か書いてきました(正確には瀬戸に隣接する猿投山あたりとなります)。陶祖・加藤藤四郎景正が中国から技術を伝えたというのが陶祖伝説。鎌倉時代ころの話です。中国では施釉磁器が作られており、日本の貴族はそれを所有することがステイタスであったわけで、それに近いもの(磁器でないにしろ)が瀬戸で作られ、人気となります。中国の高級品の写しであったわけです。

     ところが中国(宋)との貿易が盛んになると、「本物」が中国から多くもたらされるようになり瀬戸の施釉陶器の需要は減ってきます。その時、瀬戸は再び無釉の陶器も作り始めます。量産・実用を意識した「山茶碗」と呼ばれる茶碗です。

     

     私が初めてアルバイトをしたのは大学に入学する前の春休み、30数年前のちょうど今くらいの時期です。瀬戸では山で宅地や道路など開発工事が入ると古い窯跡が発見されて発掘調査することがしばしばあります。その発掘調査の仕事でした。決められたグリッド(範囲)を地層ごとにまっすぐ縦に掘り進む作業でした。そこで運よくモノが出てくると(全く出てこない場所もよくある)結構興奮したものです。そこで見たものが重なった山茶碗でした。

     シンプルな形です。小ぶりなご飯茶碗といった大きさ、丸味は少なく直線的なスタイル、高台も付けられずまっすぐ平らな底……というのが特徴です。しっかり高温で焼かれているものの、もちろん施釉はなく、大量生産のために作られていたのはよくわかります。無釉だから重ねて窯に大量に入れることも可能です。そもそも「山茶碗」という名前も後の時代になり、山の中の窯跡からやたらいっぱい出てくることからそう呼ばれたとも聞きます。

     素朴です。シンプルです。でも何か見ているとその時代の人々の(一般の)生活の息吹が感じらます。施釉の高級品だけでなく、量産のこうした製品も作っているというのが、とにかくいろいろな製品を幅広く作っていたその後の瀬戸の歴史のルーツを見るようです。

     

     春、この季節になると、私は山の中で出会った山茶碗を思い出すのです。

     

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